去りし悲しみと映画を語る
2007.08.13

いつも近くにいる人が離れるだけで時間の流れが変わってしまう。
離れて過ごす時間と近くで過ごす時間。
何かが去った後にそれは何かを残していく。
朧に残る何かを精一杯吸っても、その時は戻ってくる事はなく、思い出に浸るだけで時間は走り去っていく。
濃縮還元されたジュースはなんだか物足りなくおいしい。
今、思いついた言葉。
どうでもいいや。
そんなモノが映画になってしまう最近。
こんな文の様な映画がなぜだか流行っている。
訳がわからない。精神的葛藤。
こんなモノは大っ嫌いです。
でも、今表現したい映画は思いっきりこんな世界観です。
矛盾する思いと感情。
でも、思った。
映画は自分の表現方法ではなく、みんなと共有するもの。
これが伝えたいからこんな絵を見せたい。
そう思いながら作るよりも、この映画が輝くにはどうゆう絵を当てはめれば一番良いかを思いながら作ったほうが、より生モノに近い映画が産まれそうだと感じる。
監督は方向だけをダイレクトし、脚本家は映画に伝達方法を与え、カメラマンはそれを100%に近い純度で保存する。
映画が叫びたい思いは裸の言葉だけじゃ、シンプルすぎて、純粋すぎて、みんなは飲み込めなくなってしまう。
衣装が映画に服を着せ、美術が映画に場所を与え、照明が映画にスポットライトを当て、音楽が映画に印象を与え、演者が映画に活力を与える。
形の無い、鼓動と感情だけの映画に僕らは色々なモノを愛と一緒に与える。
みんなと映画を語るたびにそんな思いが強くなってくる。
監督が表現するのではなくて、映画が表現する。
思想や論理は映画が持てばいい。
監督はみんなを間違った道にそれない様に方向を囁くぐらいで。
映画は生き物なのだから、愛情過多はあまり良くない。
なぜだか最近そう感じます。
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